相馬 信胤(そうま のぶたね、宝暦10年4月8日(1760年5月22日) - 明和4年12月10日(1768年1月29日))は、相馬中村藩8代藩主・相馬恕胤の長男。幼名は式部。恕胤の長男として生まれたが、江戸麻布屋敷にて夭折した。行年8歳。戒名は靈鷲院殿法巌良設大童子。小高山同慶寺に葬られた。その後、弟・相馬斉胤が嫡子となった。<!--
相馬 信胤(そうま のぶたね、宝暦10年4月8日(1760年5月22日) - 明和4年12月10日(1768年1月29日))は、相馬中村藩8代藩主・相馬恕胤の長男。幼名は式部。恕胤の長男として生まれたが、江戸麻布屋敷にて夭折した。行年8歳。戒名は靈鷲院殿法巌良設大童子。小高山同慶寺に葬られた。その後、弟・相馬斉胤が嫡子となった。<!--