相良 頼泰(さがら よりやす、寛文2年(1662年) - 延宝5年10月27日(1677年11月22日))は、第3代藩主(相良氏の第23代当主)相良頼喬の長男で、肥後人吉藩の世嗣。母は相良長秀の娘。通称は長次郎。官位は従五位下、壱岐守。頼喬の嫡子として生まれた。延宝元年(1673年)に将軍徳川家綱に拝謁する。延宝4年(1676年)12月20日に従五位下・壱岐守を叙任した。ところが延宝5年、家督を相続することなく父に先立って16歳で早世した。代わって弟の頼真が嫡子となったが、同じく早世し、後に側室から生まれた庶子3男1女も全て相次いで早世したため、頼泰の母の......
相良 頼泰(さがら よりやす、寛文2年(1662年) - 延宝5年10月27日(1677年11月22日))は、第3代藩主(相良氏の第23代当主)相良頼喬の長男で、肥後人吉藩の世嗣。母は相良長秀の娘。通称は長次郎。官位は従五位下、壱岐守。頼喬の嫡子として生まれた。延宝元年(1673年)に将軍徳川家綱に拝謁する。延宝4年(1676年)12月20日に従五位下・壱岐守を叙任した。ところが......