盧綸(ろ りん、737年? - 799年?)は、中国・唐の詩人。河中蒲県(山西省蒲県)の人。字は允言(いんげん)。孫は盧弼(盧汝弼)。安禄山の乱を避けて鄱陽(江西省鄱陽県)に移住し、大暦初年(767年頃)には都へ出て科挙を受験したが、何度も落第した。しかし宰相の元戴に才能を認められて、閿郷(河南省霊宝市)の尉から検校戸部郎中・監察御史となり、病気のため辞職して家へ帰った。その後、河中府(山西省永済市)を治めていた渾(こん)かん(王+咸)に招かれて幕下に入り、さらに徳宗から都へ召されたが、出発する前に死んだ。大暦十才子の一人。『盧戸部詩集』10巻が残っている......
盧綸(ろ りん、737年? - 799年?)は、中国・唐の詩人。河中蒲県(山西省蒲県)の人。字は允言(いんげん)。孫は盧弼(盧汝弼)。安禄山の乱を避けて鄱陽(江西省鄱陽県)に移住し、大暦初年(767年頃)には都へ出て科挙を受験したが、何度も落第した。しかし宰相の元戴に才能を認められて、閿郷(河南省霊宝市)の尉から検校戸部郎中・監察御史となり、病気のため辞職して家へ帰った。その後、......