百井塘雨の画像画像引用元: www.city.nishio.aichi.jp

百井塘雨

推定知名度18.81%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

百井塘雨(ももいとうう、生年不明 - 寛政6年(1794年))は、江戸時代中期の旅行家。塘雨は雅号で実名は定雄。左右二(そうじ)を通名とし、俳号は五井。紀行『笈埃随筆(きゅうあいずいひつ)』で知られる。京都室町の豪商、万家(よろづや)の次男に生まれたが、兄が家督を継いだ為に、商人として身を立ててもその兄に並ぶ程富裕になれる筈もなく、「及(およば)ぬことを求(もとめ)んより」も好きな「名山勝槩(めいざんしょうがい、名所と勝景)をたのしむにしくはなし」と僅かな金子を携え、笈を背負った六部(ろくぶ)の姿に身を窶して日本回国の旅に出立した、一旦帰京の後、安永初年から天明末年にかけて(1770年代から80年代)西国を巡遊、日本66箇国中で至らざるは僅か6、7箇国であったという、また巡遊の記録を『笈埃随筆』として纏めている。生前には文人として伴蒿蹊や橘南谿、三熊花顚等との交友があり、蒿蹊は「おもしろき老人」と評し、花顚は塘雨の死を悼んで『続近世畸人伝』にその伝記を載せ、また、南谿は紀行『西遊記』と『東遊記』を板行するに際して『笈埃随筆』を参考としている。

過去の推移