畠山 義深(はたけやま よしふか/よしとお、元弘元年(1331年) - 康暦元年/天授 (日本)|天授5年10月12日 (旧暦)|10月12日(1379年11月21日))は、南北朝時代 (日本)|南北朝時代の武将。畠山氏6代当主。畠山家国の子。兄弟に畠山国清、足利基氏室が、子に畠山基国、畠山深秋がいる。通称、三郎。増福寺と号。国清とともに幕政に参与、関東で兄とともに北朝方として戦う。以降兄と行動を共にし、康安元年(1361年)11月、兄国清が伊豆国|伊豆で挙兵した際もこれに従うが(畠山国清の乱)、敗北し降伏。貞治5年(1366年)、幕府に許され、貞治の変で......
畠山 義深(はたけやま よしふか/よしとお、元弘元年(1331年) - 康暦元年/天授 (日本)|天授5年10月12日 (旧暦)|10月12日(1379年11月21日))は、南北朝時代 (日本)|南北朝時代の武将。畠山氏6代当主。畠山家国の子。兄弟に畠山国清、足利基氏室が、子に畠山基国、畠山深秋がいる。通称、三郎。増福寺と号。国清とともに幕政に参与、関東で兄とともに北朝方として戦......