畠山 家俊(はたけやま いえとし、寛正6年(1465年)- 享禄4年(1531年))は、戦国時代初期の武将。父は畠山氏の一族で伊豆畠山氏の畠山政栄。本願寺8世蓮如の最後の妻となった蓮能は双子の姉であったと伝えられる。娘に内大臣万里小路惟房正室がいる。能登西谷内城主。官位は大隅守。父は能登畠山氏親類として能登国羽咋郡を支配していたが、管領畠山氏一門という事で守護に準じた待遇を受けている。家俊も父と共に応仁の乱では西軍に加勢した。以後も家俊は領国と京都を往復して有力公家と婚姻を結んだり、冷泉為広らと和歌を通じた交流を行っている。1531年(享禄4年)、本願寺1......
畠山 家俊(はたけやま いえとし、寛正6年(1465年)- 享禄4年(1531年))は、戦国時代初期の武将。父は畠山氏の一族で伊豆畠山氏の畠山政栄。本願寺8世蓮如の最後の妻となった蓮能は双子の姉であったと伝えられる。娘に内大臣万里小路惟房正室がいる。能登西谷内城主。官位は大隅守。父は能登畠山氏親類として能登国羽咋郡を支配していたが、管領畠山氏一門という事で守護に準じた待遇を受けて......