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由良ノ海楫五郎

推定知名度0.05%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

由良ノ海 楫五郎(ゆらのうみ かじごろう、1793年〈寛政5年〉 - 1852年11月22日〈嘉永5年10月11日 (旧暦)|10月11日〉)は、粂川部屋及び雷部屋に所属した元力士。本名は益子とのみ伝わっている。身長,体重は不明。出身地は下野国那須郡(現在の栃木県那須郡那珂川町 (栃木県)|那珂川町)。最高位は東前頭4枚目。幼少の頃から実力があるとみなされ、1816年3月に四海浪吉五郎|四海浪 吉五郎(しかいなみ きちごろう)の名前で初土俵を踏んだ際には、いきなり西前頭6枚目に附出された(幕内付出。江戸時代に横行した。幕下付出の項を参照)。しかし厳しいプロである大相撲の世界は甘くなく、1818年2月場所千秋楽の荒戸川戦で白星を挙げるまで丸2年勝てない日が続いた。この間、同場所で記録した八十嶋冨五郎の26連敗を塗り替える27連敗の最多連敗記録を樹立した。当然の如く番付は急降下し、この場所後幕下|二段目10枚目以下(現在で言うと幕下陥落)になってしまった。改名歴は4回ある:四海浪 吉五郎 → 四海波 吉五郎 → 四海浪 吉五郎 → 由良ノ海 楫五郎 → 湊川 楫五郎

過去の推移