由布 惟次(ゆふ これつぐ、永禄元年(1558年) - 寛永10年9月14日(1633年10月16日))は安土桃山時代から江戸時代の立花氏の武将かつ重臣である。立花道雪、立花宗茂二代に仕える。幼名は熊千代。諱は惟次。通称は五兵衛、長三郎、七右衛門、美作守。号は慶祐。父は由布惟信、母は由布下総守惟克の娘。兄に由布惟定(宮内丞)、弟に由布惟紀(彦介)。妻は叔父である由布碁晨(掃部介)の娘で従姉妹にあたる。実子は1女(立花惟与室)。養子に立花惟与(由布玄蕃頭、壱岐守、十時連貞長男)、由布惟長(五兵衛、矢島重成3男)。
由布 惟次(ゆふ これつぐ、永禄元年(1558年) - 寛永10年9月14日(1633年10月16日))は安土桃山時代から江戸時代の立花氏の武将かつ重臣である。立花道雪、立花宗茂二代に仕える。幼名は熊千代。諱は惟次。通称は五兵衛、長三郎、七右衛門、美作守。号は慶祐。父は由布惟信、母は由布下総守惟克の娘。兄に由布惟定(宮内丞)、弟に由布惟紀(彦介)。妻は叔父である由布碁晨(掃部介)......