田沼 意致(たぬま おきむね、寛保元年(1741年) - 寛政8年6月25日(1796年7月29日))は、江戸時代中期の幕臣(旗本)。田沼意誠の子。妻は能勢頼忠の養女、後妻は伊丹直宥の娘。子に田沼意定、娘(稲葉正武室、のち土方義苗室)がいる。田沼意次は父方の伯父にあたる。官位は従五位下能登守。1774年(安永3年)父の家督を継ぎ、将軍徳川家治の子の徳川家基について、西丸目付となる。1779年(安永7年)に一橋家家老に就任する。徳川家斉の将軍就任に力を尽くし、1781年(天明元年)に夭逝した家基に代わり家斉が家治の世子となると、ほぼ同時の閏5月19日に意致は......
田沼 意致(たぬま おきむね、寛保元年(1741年) - 寛政8年6月25日(1796年7月29日))は、江戸時代中期の幕臣(旗本)。田沼意誠の子。妻は能勢頼忠の養女、後妻は伊丹直宥の娘。子に田沼意定、娘(稲葉正武室、のち土方義苗室)がいる。田沼意次は父方の伯父にあたる。官位は従五位下能登守。1774年(安永3年)父の家督を継ぎ、将軍徳川家治の子の徳川家基について、西丸目付となる......