田中宗慶の画像画像引用元: www.raku-yaki.or.jp

田中宗慶

推定知名度--%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

正確な生没年は不明であるが、文禄4年(1595年)9月に製作した「三彩獅子香炉」に彫られた年期銘により、そのころ60歳であったことだけは判明している。苗字の「田中」は千利休の本姓と同じであるところから、利休の親族であったという説もある。また、楽吉左衛門家の2代目を嗣いだのは長次郎の子孫ではなく、この宗慶の次男である常慶である。楽吉左衛門家初代・長次郎以上に不明な点が多く、昭和30年(1955年)に初めて公開された「宗入文書」所収の樂家系図などに依れば、長次郎の妻の祖父とされる。また、不審菴(表千家)所蔵・「利休画像」(長谷川等伯筆)の賛の中に「(利休に常に従っていた)信男宗慶」とあるのは宗慶ではないかと考えられている。また文禄3年(1594年)頃と推定される「町長門守消息」より会津の大名・蒲生氏郷にかくまわれていた千少庵の元に赴いた「天下一ちゃわんやき吉左衛門」なる人物も宗慶と同一人物と推測されている。伝世している作品も長次郎以上に少ないが、現在楽焼の通例となっている高台内の「楽」字捺印はこの宗慶の作品から始められている。現在樂家当主代々の名乗りである「吉左衛門」は宗慶の字であると推測され、その後楽吉左衛門家を嗣いだのは宗慶の子孫であり、かつ「楽」印を使った最初の人物である処から見て実質的な「楽吉左衛門」家最初の当主とも思われる。が、樂家の系図類でも歴代の当主には数えられていない点など、謎が多い人物である。

過去の推移