正確な生没年は不明であるが、文禄4年(1595年)9月に製作した「三彩獅子香炉」に彫られた年期銘により、そのころ60歳であったことだけは判明している。苗字の「田中」は千利休の本姓と同じであるところから、利休の親族であったという説もある。また、楽吉左衛門家の2代目を嗣いだのは長次郎の子孫ではなく、この宗慶の次男である常慶である。楽吉左衛門家初代・長次郎以上に不明な点が多く、昭和30年(1955年)に初めて公開された「宗入文書」所収の樂家系図などに依れば、長次郎の妻の祖父とされる。また、不審菴(表千家)所蔵・「利休画像」(長谷川等伯筆)の賛の中に「(利休に常に......
正確な生没年は不明であるが、文禄4年(1595年)9月に製作した「三彩獅子香炉」に彫られた年期銘により、そのころ60歳であったことだけは判明している。苗字の「田中」は千利休の本姓と同じであるところから、利休の親族であったという説もある。また、楽吉左衛門家の2代目を嗣いだのは長次郎の子孫ではなく、この宗慶の次男である常慶である。楽吉左衛門家初代・長次郎以上に不明な点が多く、昭和30......