生江 家道女(いくえ の いえみちめ、生没年不詳)は、奈良時代から平安時代初期にかけての女性。生江鎌取の娘とする系図がある。越優婆夷(越の国の在家の女性の仏教信者の意味)と称された。越前国足羽郡江下郷出身。天平勝宝9年(757年)聖武天皇の一周忌に際して、母の生江大田女ととも願主として、経典(法華経100部800巻、瑜伽論1部100巻)を東大寺に献上した。のち、平安京内の市で妄りに罪福(善因楽果と悪因苦果の道理)を説いて人心を惑わせたとして、延暦15年(796年)に本国の越前国に送り返されている。
生江 家道女(いくえ の いえみちめ、生没年不詳)は、奈良時代から平安時代初期にかけての女性。生江鎌取の娘とする系図がある。越優婆夷(越の国の在家の女性の仏教信者の意味)と称された。越前国足羽郡江下郷出身。天平勝宝9年(757年)聖武天皇の一周忌に際して、母の生江大田女ととも願主として、経典(法華経100部800巻、瑜伽論1部100巻)を東大寺に献上した。のち、平安京内の市で妄り......