甘 延寿(かん えんじゅ、? - 紀元前24年)は、前漢の人。字は君況。北地郡郁郅の人。若いときに騎射に長けていたことで羽林となり、ずば抜けた身体能力により郎となった。のち、期門となり寵愛され、遼東太守に至ったが罷免された。その後、車騎将軍許嘉の推薦で郎中、諫大夫となり、西域都護となった。建昭3年(紀元前36年)、西域都護甘延寿は副校尉の陳湯と共に、匈奴内の抗争に敗れた後康居にいて漢の西域支配を阻んでいた郅支単于を西域の兵を動員して倒そうと考えたが、皇帝への上奏を経ようとする甘延寿に対し、陳湯は独断で行うべきと主張し、命令を偽って西域の兵や都護配下の屯田兵......
甘 延寿(かん えんじゅ、? - 紀元前24年)は、前漢の人。字は君況。北地郡郁郅の人。若いときに騎射に長けていたことで羽林となり、ずば抜けた身体能力により郎となった。のち、期門となり寵愛され、遼東太守に至ったが罷免された。その後、車騎将軍許嘉の推薦で郎中、諫大夫となり、西域都護となった。建昭3年(紀元前36年)、西域都護甘延寿は副校尉の陳湯と共に、匈奴内の抗争に敗れた後康居にい......