瑞麟(ずいりん、ジュイリン、ᡰᡠᡞᠯᡞᠨ 転写:Žuilin、? - 1874年)は、清末の官僚。字は澄泉。満州正藍旗人で氏族はイェヘナラ氏(Yehe nara hala、葉赫那拉氏)。太常寺少卿、内閣学士、礼部侍郎を歴任し、咸豊3年(1853年)に戸部侍郎に異動して軍機大臣上行走を兼ねた。時に太平天国の北伐軍は静海県と独流鎮に拠って北京をうかがっていたが、瑞麟はホルチン郡王センゲリンチン(Sengerinchen、僧格林沁)に従って独流を攻め落とした。静海の太平天国軍は阜城を落とし、連鎮と山東省の高唐州に兵を分けたが、咸豊5年(1855年)に瑞麟は連鎮を......
瑞麟(ずいりん、ジュイリン、ᡰᡠᡞᠯᡞᠨ 転写:Žuilin、? - 1874年)は、清末の官僚。字は澄泉。満州正藍旗人で氏族はイェヘナラ氏(Yehe nara hala、葉赫那拉氏)。太常寺少卿、内閣学士、礼部侍郎を歴任し、咸豊3年(1853年)に戸部侍郎に異動して軍機大臣上行走を兼ねた。時に太平天国の北伐軍は静海県と独流鎮に拠って北京をうかがっていたが、瑞麟はホルチン郡王セン......