王 駿(おう しゅん、? - 紀元前15年)は、前漢の政治家。字は不詳。琅邪郡皋虞県(現・山東省即墨市)の人。王吉の子。父の王吉は易経の梁丘賀説を好み、王駿にこれを学ばせた。王駿は孝廉に推挙され郎となった。その後、左曹の陳咸、光禄勲の匡衡の推薦があり、諌大夫となった。淮陽王劉欽(宣帝の子)の謀反事件の際に王を詰問する使者となっている。その後、趙国の内史となったが、父の王吉が昌邑王の官僚となって刑を受けたことから、王駿には王国の官吏にはなるなと戒めていたため、病気を称して官を辞めて帰郷した。その後復帰して幽州刺史となり、司隷校尉に遷った。このとき丞相匡衡を弾......
王 駿(おう しゅん、? - 紀元前15年)は、前漢の政治家。字は不詳。琅邪郡皋虞県(現・山東省即墨市)の人。王吉の子。父の王吉は易経の梁丘賀説を好み、王駿にこれを学ばせた。王駿は孝廉に推挙され郎となった。その後、左曹の陳咸、光禄勲の匡衡の推薦があり、諌大夫となった。淮陽王劉欽(宣帝の子)の謀反事件の際に王を詰問する使者となっている。その後、趙国の内史となったが、父の王吉が昌邑王......