王 遵(おう じゅん)は、中国の人物。*瑯邪王氏の王遵。字は伯業。王崇の子、王音(『新唐書』唐宰相世系表十二中では、その子王仁と同人物とする)の父。後漢の光武帝に仕えて、中大夫となり、義郷侯に封じられた。*明の進士の王遵。字は子法。順慶府南充県(現・四川省南充市順慶区)の人。*下記の本記事の項で2人の王遵を述べる。----王 遵(おう じゅん、生没年不詳)は、新代から後漢時代初期にかけての政治家、武将。光武帝に仕え、30年に楽浪郡の王調が、楽浪太守の劉憲を殺害して、自ら楽浪太守と称した。光武帝は王遵に楽浪遠征を命じた。しかし、王調はすでに楽浪郡の人々に滅ぼ......
王 遵(おう じゅん)は、中国の人物。*瑯邪王氏の王遵。字は伯業。王崇の子、王音(『新唐書』唐宰相世系表十二中では、その子王仁と同人物とする)の父。後漢の光武帝に仕えて、中大夫となり、義郷侯に封じられた。*明の進士の王遵。字は子法。順慶府南充県(現・四川省南充市順慶区)の人。*下記の本記事の項で2人の王遵を述べる。----王 遵(おう じゅん、生没年不詳)は、新代から後漢時代初期......