王玄策(おう げんさく、生没年不詳)は唐の太宗、高宗に仕えた中堅の文官(官僚)。中国から天竺(インド)へ3回(一説では4回)にわたり外交使節として赴き、特に2回目の天竺行において現地の内紛に武力介入したことで知られている。しかしそれ以外に特筆すべき業績はなかったため、旧唐書、新唐書とも単独の伝を立てていない。
王玄策(おう げんさく、生没年不詳)は唐の太宗、高宗に仕えた中堅の文官(官僚)。中国から天竺(インド)へ3回(一説では4回)にわたり外交使節として赴き、特に2回目の天竺行において現地の内紛に武力介入したことで知られている。しかしそれ以外に特筆すべき業績はなかったため、旧唐書、新唐書とも単独の伝を立てていない。