王朴(おう ぼく ? - 959年)は中国後周の政治家。字は文伯。東平(現山東省泰安市東平県)の人。後周の世宗・柴栄を支えた宰相。幼い頃から用心深い性格で、学を好み作文に優れていた。後漢の乾祐年間(948年~950年)に進士に及第すると校書郎に任じられた。当時の後漢は権臣同士の争いで国内がおおいに乱れており、廷臣の多くが争乱に巻き込まれて命を失ったが、王朴は難を逃れた。950年に郭威が後周を建国すると、節度使として澶州(現河南省濮陽市)に鎮する柴栄(後の世宗)に仕え、節度掌書記、右拾遺、推官を歴任した。954年に太祖・郭威が崩じ、世宗・柴栄が後継者として即......
王朴(おう ぼく ? - 959年)は中国後周の政治家。字は文伯。東平(現山東省泰安市東平県)の人。後周の世宗・柴栄を支えた宰相。幼い頃から用心深い性格で、学を好み作文に優れていた。後漢の乾祐年間(948年~950年)に進士に及第すると校書郎に任じられた。当時の後漢は権臣同士の争いで国内がおおいに乱れており、廷臣の多くが争乱に巻き込まれて命を失ったが、王朴は難を逃れた。950年に......