王 忠嗣(おう ちゅうし、神龍元年(705年)- 天宝8載(749年))は唐の武将。元々は王訓という名であったが、玄宗に名を賜り改名した。突厥や吐蕃を相手に勝利を重ね、唐の国土を守った。しかし、兵の死を犠牲にする敵地への侵攻を拒否し、命令に背いたために左遷させられ、その地で没した。安禄山の反乱を予期していたことでも知られる。
王 忠嗣(おう ちゅうし、神龍元年(705年)- 天宝8載(749年))は唐の武将。元々は王訓という名であったが、玄宗に名を賜り改名した。突厥や吐蕃を相手に勝利を重ね、唐の国土を守った。しかし、兵の死を犠牲にする敵地への侵攻を拒否し、命令に背いたために左遷させられ、その地で没した。安禄山の反乱を予期していたことでも知られる。