王 底楨(おう ていてい、''Wang Dizhen''、? - 1858年)、清末の白蓮教徒の蜂起の指導者。王廷楨とも書く。安徽省阜陽西爐寨出身。白蓮教の教主で、1858年に弟子の李潮仕とともに蜂起し、王底楨は「順天軍師」、李潮仕は「大司馬」を名乗った。蜂起には河南省の沈丘・項城市・息県などの民衆が参加し、太平天国や捻軍とともに固始を包囲した。しかし包囲に失敗し、逆に河南巡撫英桂の派遣した徳楞泰に西爐寨を包囲された。2か月余りの戦闘の後に西爐寨は全滅し、7500人余りが殺害された。
王 底楨(おう ていてい、''Wang Dizhen''、? - 1858年)、清末の白蓮教徒の蜂起の指導者。王廷楨とも書く。安徽省阜陽西爐寨出身。白蓮教の教主で、1858年に弟子の李潮仕とともに蜂起し、王底楨は「順天軍師」、李潮仕は「大司馬」を名乗った。蜂起には河南省の沈丘・項城市・息県などの民衆が参加し、太平天国や捻軍とともに固始を包囲した。しかし包囲に失敗し、逆に河南巡撫英......