王 充(おう じゅう、建武3年(27年) - ?)は、後漢の文人、思想家。字は仲任。会稽郡上虞の出身。旧伝などの非合理を批判し合理的なものを追求した『論衡』を著す。その著書において儒教に対しても厳しい批判を行なっていることから、北宋代以降は異端視されて省みられることがなかった。逆に1970年代の中華人民共和国での儒教批判運動の中では、孔子批判の先駆者として評価されたりもした。
王 充(おう じゅう、建武3年(27年) - ?)は、後漢の文人、思想家。字は仲任。会稽郡上虞の出身。旧伝などの非合理を批判し合理的なものを追求した『論衡』を著す。その著書において儒教に対しても厳しい批判を行なっていることから、北宋代以降は異端視されて省みられることがなかった。逆に1970年代の中華人民共和国での儒教批判運動の中では、孔子批判の先駆者として評価されたりもした。