牧野 貞隆(まきの さだたか、享保15年(1730年) - 寛保元年9月21日(1741年10月30日))は、日向国延岡藩嗣子で牧野貞通の次男。幼名は富五郎。諱は貞隆。元文4年6月(1739年)に初め延岡藩嗣子であった兄・牧野忠敬が宗家にあたる越後長岡藩藩主牧野忠周の養嗣子となったため、繰り上がりで延岡藩嫡子となる。寛保元年(1741年)に12歳で早世した。代わって、弟の貞長が嫡子となった。
牧野 貞隆(まきの さだたか、享保15年(1730年) - 寛保元年9月21日(1741年10月30日))は、日向国延岡藩嗣子で牧野貞通の次男。幼名は富五郎。諱は貞隆。元文4年6月(1739年)に初め延岡藩嗣子であった兄・牧野忠敬が宗家にあたる越後長岡藩藩主牧野忠周の養嗣子となったため、繰り上がりで延岡藩嫡子となる。寛保元年(1741年)に12歳で早世した。代わって、弟の貞長が嫡......