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炭太祇

推定知名度18.99%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

炭 太祇(たん たいぎ、宝永6年(1709年) - 明和8年8月9日(1771年9月17日))は、江戸時代中期の俳人。水語・三亭・不夜庵などと号した。出身は江戸。江戸においては水国・慶紀逸に江戸座の俳諧を学ぶとともに、劇界や遊里の人々とも交流を持った。宝暦年間(1751年-1764年)には奥州・京都・九州などを巡った後、京都島原の遊郭内に不夜庵を営んだ。支持者である桔梗屋呑獅のほか、与謝蕪村とも交流があったという。また、太祇は島原の女性たちに俳諧や手習いの教授を行っていた。太祇の編んだ歳旦には俳人や遊里の主人連中の他に、女性たちの名前が見える。それらの多くは島原遊里案内記『一目千軒』と照合が可能であり、実在の太夫や天神たちである。彼女らの句には百人一首のパロディや地歌の曲名を読み込むものなど、趣向が凝らされている。また、秋の島原を舞台に灯籠を飾る行事を復活させたとされる。太祇は明和八年に没するまで島原に住まうことになるが、宝暦六年に一度、江戸への帰遊を果たしている。これは上洛していた五雲の帰江に誘われてのものであり、この江戸滞在にも五雲の住まいに仮寓した。そこで旧知の俳人たちと再会し交流した太祇は、その秋には島原へ戻っている。句集として『太祇句選』、『太祇句選後編』などがある。没後、親友であった五雲が不夜庵を継いだ。Category:江戸時代の俳人Category:武蔵国の人物Category:1709年生Category:1771年没

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