滝川 具綏(たきがわ ともやす、嘉永3年2月22日(1850年4月4日) - 明治10年(1877年)5月31日)は、江戸時代後期の旗本で明治初期の陸軍軍人である。陸軍中尉従七位。通称は充太郎(みつたろう)。父は大目付・滝川具挙。母は斎藤氏の出身。家紋は鶴の丸。弟に滝川具和(規矩次郎、海軍少将)、小林銀三(小林こと養子)、さと(名和又八郎妻)ら。妻は津多。子はなかった。
滝川 具綏(たきがわ ともやす、嘉永3年2月22日(1850年4月4日) - 明治10年(1877年)5月31日)は、江戸時代後期の旗本で明治初期の陸軍軍人である。陸軍中尉従七位。通称は充太郎(みつたろう)。父は大目付・滝川具挙。母は斎藤氏の出身。家紋は鶴の丸。弟に滝川具和(規矩次郎、海軍少将)、小林銀三(小林こと養子)、さと(名和又八郎妻)ら。妻は津多。子はなかった。