滝川 元義(たきがわ もとよし、生没年不詳)は、幕末の幕臣。滝川源作の子。元似(もとしげ)とも。主殿、のちに讃岐守。西の丸目付や本丸目付などを歴任し、文久3年(1863年)講武所歩兵頭、持筒組頭兼帯より佐渡奉行となる。しかし、佐渡には着任をしていない。知行は2019石1斗7升、役料1500俵100人扶持。元治元年(1864年)3月28日、堺奉行となり讃岐守へ還任となった。同年9月京都西町奉行となり、慶応2年10月までその任につく。
滝川 元義(たきがわ もとよし、生没年不詳)は、幕末の幕臣。滝川源作の子。元似(もとしげ)とも。主殿、のちに讃岐守。西の丸目付や本丸目付などを歴任し、文久3年(1863年)講武所歩兵頭、持筒組頭兼帯より佐渡奉行となる。しかし、佐渡には着任をしていない。知行は2019石1斗7升、役料1500俵100人扶持。元治元年(1864年)3月28日、堺奉行となり讃岐守へ還任となった。同年9月......