滋野井 公麗(しげのい きんかず、享保18年11月14日(1733年12月19日)-天明元年9月7日(1781年10月23日))、は江戸時代中期の公卿。滋野井実全の子。子に滋野井冬泰。号は五松亭。3歳で父が死去し、有職故実家としても名高かった祖父・公澄に育てられる。元文4年(1739年)に元服して従五位下侍従に任じられ、宝暦8年(1758年)に従三位参議となり、宝暦11年(1761年)に検非違使別当兼右兵衛督、宝暦13年(1763年)に正三位権中納言となる。明和5年(1768年)には正二位権大納言(兼大宰権帥)に昇ったが権大納言は同年中、兼務の権帥も安永5......
滋野井 公麗(しげのい きんかず、享保18年11月14日(1733年12月19日)-天明元年9月7日(1781年10月23日))、は江戸時代中期の公卿。滋野井実全の子。子に滋野井冬泰。号は五松亭。3歳で父が死去し、有職故実家としても名高かった祖父・公澄に育てられる。元文4年(1739年)に元服して従五位下侍従に任じられ、宝暦8年(1758年)に従三位参議となり、宝暦11年(176......