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源頼資

推定知名度1.5%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

源頼資(みなもと の よりすけ、寛永7年(1010年)頃 - 治暦2年8月24日 (旧暦)|8月24日(1066年9月22日))は、平安時代中期の日本の武将・官人。源頼国の二男。母は備後国|備後守藤原師長女。兄弟に源頼弘|頼弘、源頼実|頼実、源実国|実国、源頼綱|頼綱、源国房|国房、源師光|師光、六条斎院宣旨らがある。頼弘の異母弟、源頼実などの異母兄にあたる。従五位下下野守に任官している。永承年間にはばい子内親王 (後朱雀天皇皇女)|六条斎院禖子内親王歌合に参加したり、橘資成と歌合を共催したりと、文化人としての側面も残る。『扶桑略記』には、康平7年(1064年)に国司橘惟行|上総介橘惟行の館を焼亡させて佐渡国|佐渡へ流罪になるという記述が残るなど、粗暴な一面もあったらしい。二年後に罪を許され帰国を果たしているが、その直後に没した。

過去の推移