源 頼家(みなもと の よりいえ、生没年不詳)は、平安時代中期(11世紀)の官人・歌人。源頼光の次男。後に叔父頼範の養子となっていたとされる(『尊卑分脈』)。母親は権中納言平惟仲女。兄弟に頼国、頼基、藤原道綱室、相模らがあり、子に家盛、満綱、満家、家通、家基らがある。『尊卑分脈』による官位は従四位下、蔵人、筑前守。長元8年(1035年)に蔵人に任ぜられ、兄頼国と同じく藤原頼通に近しく仕える一方、受領を歴任した。特に歌人としての活動がよく知られており、甥の頼実と共に中級貴族の歌人集団・和歌六人党の一人に数えられ、長暦2年(1038年)および長久2年(104......
源 頼家(みなもと の よりいえ、生没年不詳)は、平安時代中期(11世紀)の官人・歌人。源頼光の次男。後に叔父頼範の養子となっていたとされる(『尊卑分脈』)。母親は権中納言平惟仲女。兄弟に頼国、頼基、藤原道綱室、相模らがあり、子に家盛、満綱、満家、家通、家基らがある。『尊卑分脈』による官位は従四位下、蔵人、筑前守。長元8年(1035年)に蔵人に任ぜられ、兄頼国と同じく藤原頼通に......