源 為朝(みなもと の ためとも、旧字体:爲朝)は、平安時代末期の武将。源為義の八男。母は摂津国江口(現・大阪市東淀川区江口)の遊女。弓の名手で、鎮西を名目に九州で暴れ、鎮西八郎を称す。保元の乱では父・為義とともに崇徳上皇方に属して奮戦するが敗れ、伊豆大島へ流される。しかしそこでも暴れて国司に従わず、伊豆諸島を事実上支配したので、追討を受け自害した。一方、琉球王国の正史『中山世鑑』や『おもろさうし』、『鎮西琉球記』、『椿説弓張月』などでは、このとき追討を逃れて現在の沖縄県に渡り、その子が琉球王家の始祖舜天になったといわれる、伝説的な人物でもある。
源 為朝(みなもと の ためとも、旧字体:爲朝)は、平安時代末期の武将。源為義の八男。母は摂津国江口(現・大阪市東淀川区江口)の遊女。弓の名手で、鎮西を名目に九州で暴れ、鎮西八郎を称す。保元の乱では父・為義とともに崇徳上皇方に属して奮戦するが敗れ、伊豆大島へ流される。しかしそこでも暴れて国司に従わず、伊豆諸島を事実上支配したので、追討を受け自害した。一方、琉球王国の正史『中山世鑑......