湛睿(たんえい、文永8年(1271年)- 貞和2年11月30日(1347年1月12日))は、鎌倉・南北朝時代の学僧。本如房と号す。律僧で華厳学の大家であった。幼くして東大寺凝然に戒律・華厳を学び、永仁元年(1293年)般若寺真円について戒律の研究に励む。その後東下し徳治元年(1306年)には極楽寺で、延慶3年(1310年)には称名寺で三宝院流の真言を学ぶ。正和2年(1313年)に上洛して凝然の高弟久米田寺の禅爾に学び、華厳・戒律の教学を確立した。文保2年(1318年)に鎌倉に戻り、嘉暦元年(1326年)から鎌倉幕府滅亡の混乱のさなかに下総国東禅寺の住持を勤......
湛睿(たんえい、文永8年(1271年)- 貞和2年11月30日(1347年1月12日))は、鎌倉・南北朝時代の学僧。本如房と号す。律僧で華厳学の大家であった。幼くして東大寺凝然に戒律・華厳を学び、永仁元年(1293年)般若寺真円について戒律の研究に励む。その後東下し徳治元年(1306年)には極楽寺で、延慶3年(1310年)には称名寺で三宝院流の真言を学ぶ。正和2年(1313年)に......