渋谷 重助(しぶや しげすけ、生没年未詳)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の武将。秩父氏の一族で、武蔵・相模国渋谷荘の豪族、渋谷重国の子。馬允。通称は五郎。『吾妻鏡』文治元年(1185年)4月15日条で頼朝の怒りを買った無断任官者24名の1人で、馬允(うまのじょう)に任じられており、頼朝からは「父(重国)は在国しているのに、平家に従い各地をうろつき、義仲が多数の軍勢で攻め寄せると義仲に従い京に留まった。また義経が入京するとそれに参じた。度々の合戦で勇猛であったので前からの勘当を許して召し使おうというところであったのに、衛府に任官して首を切られるとはどういう事......
渋谷 重助(しぶや しげすけ、生没年未詳)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の武将。秩父氏の一族で、武蔵・相模国渋谷荘の豪族、渋谷重国の子。馬允。通称は五郎。『吾妻鏡』文治元年(1185年)4月15日条で頼朝の怒りを買った無断任官者24名の1人で、馬允(うまのじょう)に任じられており、頼朝からは「父(重国)は在国しているのに、平家に従い各地をうろつき、義仲が多数の軍勢で攻め寄せると義......