渋川 万寿丸(しぶかわ まんじゅまる、応仁2年(1468年) - 長享元年(1487年))は、室町時代中期の武将。室町幕府の九州探題。本姓は源氏で足利氏の一門渋川氏の出身。父は渋川教直。兄弟に政実、尹繁、和是ら。諱は不明。文明11年(1479年)、父の教直が死去し、既に兄の政実も没していたため、家督を継ぐ。長享元年(1487年)、少弐政資によって居城の肥前綾部館を攻められて、筑前亀尾城へ逃亡するが、そこで家臣に裏切られて殺害された。享年20。福岡県那珂川町市ノ瀬に墓がある。
渋川 万寿丸(しぶかわ まんじゅまる、応仁2年(1468年) - 長享元年(1487年))は、室町時代中期の武将。室町幕府の九州探題。本姓は源氏で足利氏の一門渋川氏の出身。父は渋川教直。兄弟に政実、尹繁、和是ら。諱は不明。文明11年(1479年)、父の教直が死去し、既に兄の政実も没していたため、家督を継ぐ。長享元年(1487年)、少弐政資によって居城の肥前綾部館を攻められて、筑前......