淳于 長(じゅんう ちょう、? - 紀元前8年)は、前漢後期の人物。成帝の母、王政君の姉の子。魏郡元城(河北省大名県)の人。皇太后王政君の甥であることから黄門郎となっていたものの、重用されてはいなかった。だが、大将軍王鳳が病床にあった時に朝から晩まで看病に努めたことで、王鳳は今わの際に淳于長を皇太后と成帝に託した。そこで成帝は淳于長を校尉、諸曹とし、永始元年(紀元前16年)には水衡都尉、侍中となり、同4年(紀元前13年)には侍中、衛尉となった。淳于長は趙飛燕を皇后に立てることに難色を示す皇太后王政君を説得するために皇太后宮を往来し、趙飛燕を皇后にすることが......
淳于 長(じゅんう ちょう、? - 紀元前8年)は、前漢後期の人物。成帝の母、王政君の姉の子。魏郡元城(河北省大名県)の人。皇太后王政君の甥であることから黄門郎となっていたものの、重用されてはいなかった。だが、大将軍王鳳が病床にあった時に朝から晩まで看病に努めたことで、王鳳は今わの際に淳于長を皇太后と成帝に託した。そこで成帝は淳于長を校尉、諸曹とし、永始元年(紀元前16年)には水......