浄光院(じょうこういん、正字:淨光院、? - 寛永2年6月22日(1625年7月26日))は、加藤清正の側室で、清正の長女あま姫(本淨院)の生母である。竹之丸殿と称された。中世に肥後国守護職を務めるなど、九州では名高い菊池氏の一族、赤星統家の子の赤星親武(赤星太郎兵衛)の娘に生まれた。赤星家は豊臣秀吉の九州統一により没落したが、親武は肥後の新領主となった清正に仕え有力武将として活躍し、加藤十六将の一人とまで名を挙げた。のち清正の指示により大坂城の豊臣秀頼に直参し、大坂夏の陣において天王寺口で戦死した。浄光院の兄弟には赤星道重がいるが、大坂の陣では城を脱出、......
浄光院(じょうこういん、正字:淨光院、? - 寛永2年6月22日(1625年7月26日))は、加藤清正の側室で、清正の長女あま姫(本淨院)の生母である。竹之丸殿と称された。中世に肥後国守護職を務めるなど、九州では名高い菊池氏の一族、赤星統家の子の赤星親武(赤星太郎兵衛)の娘に生まれた。赤星家は豊臣秀吉の九州統一により没落したが、親武は肥後の新領主となった清正に仕え有力武将として活......