津川 義冬(つがわ よしふゆ、生年不詳 - 天正12年3月6日(1584年4月16日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。松ヶ島城城主。名は義永とも。本姓は源氏。足利氏の一門で室町幕府三管領筆頭の斯波氏の血筋である。斯波氏傍流の津川氏を称する。なお、「続群書類従 巻百十三」の『武衛系図』では諱は近治、官位は従五位下、通称は玄蕃允とする。また、「廓坊文書」所収の某年九月朔日付の「津川玄蕃允雄光・滝川三郎兵衛一盛連署書状」が残されているが、滝川一盛は滝川雄利の天正10年(1582年)・11年(1583年)前後の名乗りである事から、この書......
津川 義冬(つがわ よしふゆ、生年不詳 - 天正12年3月6日(1584年4月16日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。松ヶ島城城主。名は義永とも。本姓は源氏。足利氏の一門で室町幕府三管領筆頭の斯波氏の血筋である。斯波氏傍流の津川氏を称する。なお、「続群書類従 巻百十三」の『武衛系図』では諱は近治、官位は従五位下、通称は玄蕃允とする。また、「廓坊文書」所......