波多野 有常(はたの ありつね、生没年未詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の相模国の武将。波多野義常の嫡男。母は大庭景義の妹。有経とも。松田氏の祖。父・義常は治承4年(1180年)の源頼朝挙兵に際して頼朝と敵対し、討手を差し向けられて自害した。有常は母方の伯父である大庭景義に身柄を預けられた。7年後の文治4年(1188年)4月3日、鶴岡八幡宮での流鏑馬に召されて優れた技量を見せ、頼朝から賞賛を受けて父の遺領中で随一の一村(松田郷)を与えられた。波多野氏の本領である波多野荘は叔父の義景が継承している。
波多野 有常(はたの ありつね、生没年未詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の相模国の武将。波多野義常の嫡男。母は大庭景義の妹。有経とも。松田氏の祖。父・義常は治承4年(1180年)の源頼朝挙兵に際して頼朝と敵対し、討手を差し向けられて自害した。有常は母方の伯父である大庭景義に身柄を預けられた。7年後の文治4年(1188年)4月3日、鶴岡八幡宮での流鏑馬に召されて優れた技量を見せ......