沼田 顕泰(ぬまた あきやす)は、戦国時代の武将。上野国利根郡沼田城主。沼田氏は上野利根郡を治めた国人。享禄2年(1529年)、沼田城築城に着手し、同5年/天文元年(1532年)に完成。父・沼田泰輝の築いた幕岩城から沼田城に居を移した。永禄元年(1558年)には沼田氏で内紛があったとみられており、これは山内上杉家没落後、家中が上杉憲政派と後北条氏派に分裂したのが原因という。顕泰は上杉憲政に通じて反北条方であり、長子・左衛門尉三郎憲泰と嫡男で沼田氏当主となった弥七郎朝憲が後北条氏に接近したため、顕泰は子を次々誅した。しかし北条氏に通じた朝憲室の実家・厩橋長野......
沼田 顕泰(ぬまた あきやす)は、戦国時代の武将。上野国利根郡沼田城主。沼田氏は上野利根郡を治めた国人。享禄2年(1529年)、沼田城築城に着手し、同5年/天文元年(1532年)に完成。父・沼田泰輝の築いた幕岩城から沼田城に居を移した。永禄元年(1558年)には沼田氏で内紛があったとみられており、これは山内上杉家没落後、家中が上杉憲政派と後北条氏派に分裂したのが原因という。顕泰は......