河鰭 公述(かわばた きんあきら)は、江戸時代末期の公家。藤原北家公季流河鰭家第24代当主。正三位非参議河鰭実利の子。安政5年(1858年)日米修好通商条約勅許に反対し、廷臣88人の列参に加わった(廷臣八十八卿列参事件)。文久2年(1862年)尊攘派公家13人とともに和宮降嫁を進めた岩倉具視らを弾劾した。同年、国事御用掛となる。元治元年(1864年)、正四位下右近権権中将となるが、同年8月21日卒去した。享年36。
河鰭 公述(かわばた きんあきら)は、江戸時代末期の公家。藤原北家公季流河鰭家第24代当主。正三位非参議河鰭実利の子。安政5年(1858年)日米修好通商条約勅許に反対し、廷臣88人の列参に加わった(廷臣八十八卿列参事件)。文久2年(1862年)尊攘派公家13人とともに和宮降嫁を進めた岩倉具視らを弾劾した。同年、国事御用掛となる。元治元年(1864年)、正四位下右近権権中将となるが......