河野 通盛(こうの みちもり、?-貞治3年/正平19年11月26日(1364年12月19日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武士。後に伊予国の守護職となる。河野通有の7男で母は河野通久の娘.初名は通治。通称は九郎左衛門尉。官途は対馬守。河野氏の本拠として知られる湯築城を築城者と伝わる。元亨年間に父が没すると、母の強い後押しで嫡男であった異母兄通忠を排して当主となる。その際に、一族内に内紛があったと推定され(母の譲状の中に他の兄弟に与えられた父の遺領の悔返が行われて通盛に与えられている)、通盛の求心力の低下の一因となる。元弘の乱の際には六波羅探題の命に応じ......
河野 通盛(こうの みちもり、?-貞治3年/正平19年11月26日(1364年12月19日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武士。後に伊予国の守護職となる。河野通有の7男で母は河野通久の娘.初名は通治。通称は九郎左衛門尉。官途は対馬守。河野氏の本拠として知られる湯築城を築城者と伝わる。元亨年間に父が没すると、母の強い後押しで嫡男であった異母兄通忠を排して当主となる。その際に、一......