河野 一郎(こうの いちろう、1898年(明治31年)6月2日 - 1965年(昭和40年)7月8日)は、日本の政治家。元副総理格国務大臣(格無任所大臣)日本自由党幹事長、自由民主党総務会長。財界四天王が邪魔をしなければ内閣総理大臣になれたと言われる実力者だった。河野派会長、領袖。自由民主党の党人派の代表格として権勢を誇り、その政治行動は「横紙破り」 と呼ばれた。農林大臣、建設大臣、特命相、五輪大臣、副総理、国務大臣(筆頭無任所大臣)を務めた。また、地元神奈川県県政にも強い影響力を持ち、県は「河野王国」とも呼ばれた。栄典は従二位勲一等旭日桐花大綬章。参議院......
河野 一郎(こうの いちろう、1898年(明治31年)6月2日 - 1965年(昭和40年)7月8日)は、日本の政治家。元副総理格国務大臣(格無任所大臣)日本自由党幹事長、自由民主党総務会長。財界四天王が邪魔をしなければ内閣総理大臣になれたと言われる実力者だった。河野派会長、領袖。自由民主党の党人派の代表格として権勢を誇り、その政治行動は「横紙破り」 と呼ばれた。農林大臣、建設大......