河津 祐邦(かわづ すけくに、文政4年(1821年) - 明治6年(1873年))は、江戸幕府の旗本。幕末に勘定奉行、関東郡代、長崎奉行、外国事務総裁などの重職を歴任した。家禄は100俵高。官職名は伊豆守。墓は東京谷中五林寺にある。曾我兄弟の仇討ちで有名な工藤祐経の子孫であり、大津事件の際に刑事局長を務めた官僚の河津祐之は祐邦の女婿、孫の暹は経済学者(東京帝国大学経済学部教授)である。
河津 祐邦(かわづ すけくに、文政4年(1821年) - 明治6年(1873年))は、江戸幕府の旗本。幕末に勘定奉行、関東郡代、長崎奉行、外国事務総裁などの重職を歴任した。家禄は100俵高。官職名は伊豆守。墓は東京谷中五林寺にある。曾我兄弟の仇討ちで有名な工藤祐経の子孫であり、大津事件の際に刑事局長を務めた官僚の河津祐之は祐邦の女婿、孫の暹は経済学者(東京帝国大学経済学部教授)で......