江都公主(こうとこうしゅ、生没年不詳)は、前漢の江都王劉建(江都王劉非の子、武帝の甥)の娘。名は細君。烏孫公主(うそんこうしゅ)とも呼ばれる。江都公主の父の劉建は、淫乱で残虐、しかも武帝に対して謀反を起こしたという罪で自害させられた。その後、元封年間に娘の江都公主は漢と烏孫との友好の印として、はるか遠くの烏孫の地に嫁ぎ、烏孫王猟驕靡の夫人になった。その後、猟驕靡が老いたため、遊牧民族である烏孫の習慣(レビラト婚)に従い、その孫の岑陬軍須靡に嫁ぐよう命令された。この習慣には未亡人を保護する目的があったと思われるが、夫の孫の妻に、しかも夫が存命のうちからその孫......
江都公主(こうとこうしゅ、生没年不詳)は、前漢の江都王劉建(江都王劉非の子、武帝の甥)の娘。名は細君。烏孫公主(うそんこうしゅ)とも呼ばれる。江都公主の父の劉建は、淫乱で残虐、しかも武帝に対して謀反を起こしたという罪で自害させられた。その後、元封年間に娘の江都公主は漢と烏孫との友好の印として、はるか遠くの烏孫の地に嫁ぎ、烏孫王猟驕靡の夫人になった。その後、猟驕靡が老いたため、遊牧......