水間 沾徳(みずま せんとく、寛文2年(1662年) - 享保11年5月30日(1726年6月29日))は江戸時代初期、松尾芭蕉、宝井其角と同時代の俳人である。芭蕉および宝井其角の没後、享保期の江戸俳壇の中心となった。江戸に生まれる。姓は門田、のち水間、名は友兼。通称治朗左衛門。16歳で福田露言(保守派の岸本調和の門の門人で調也とも)に入門、露言に伴われて、奥州磐城平藩主・内藤義概(俳号風虎)の江戸藩邸の句会に参加し、内藤風虎の嗣子・義英(俳号露沾)の知遇を得て、沾葉と名乗った。風虎の句会は芭蕉を世にだす契機となったとされている。沾徳は磐城平藩の扶持を受け......
水間 沾徳(みずま せんとく、寛文2年(1662年) - 享保11年5月30日(1726年6月29日))は江戸時代初期、松尾芭蕉、宝井其角と同時代の俳人である。芭蕉および宝井其角の没後、享保期の江戸俳壇の中心となった。江戸に生まれる。姓は門田、のち水間、名は友兼。通称治朗左衛門。16歳で福田露言(保守派の岸本調和の門の門人で調也とも)に入門、露言に伴われて、奥州磐城平藩主・内藤義......