水野 致高(みずの むねたか、生年未詳 - 応永19年12月28日(1413年2月8日))は室町時代中期の武将。尾張国山田郡水野郷(愛知県瀬戸市)・志段味郷(名古屋市守山区)を拠点とした豪族である桓武平氏高望王流水野氏の総領。入尾城主。官位は従五位下、備中守。父は水野致顕。子に頼高がある。応永19年(1412年)12月24日、称光天皇より備中守に補任されるも、4日後の28日に入尾城にて没した。法号は義雲院仁峯宗智居士覚位。瀬戸市水野の感応寺に葬られた。
水野 致高(みずの むねたか、生年未詳 - 応永19年12月28日(1413年2月8日))は室町時代中期の武将。尾張国山田郡水野郷(愛知県瀬戸市)・志段味郷(名古屋市守山区)を拠点とした豪族である桓武平氏高望王流水野氏の総領。入尾城主。官位は従五位下、備中守。父は水野致顕。子に頼高がある。応永19年(1412年)12月24日、称光天皇より備中守に補任されるも、4日後の28日に入尾......