水野 忠敬(みずの ただのり)は、駿河沼津藩の第8代藩主。のちに上総菊間藩主。沼津藩水野家15代。嘉永4年(1851年)7月10日、沼津藩水野家の分家旗本(浜町水野氏)の水野忠明の次男として生まれる。慶応2年(1866年)に本家の第7代藩主水野忠誠が死去したため、その養子として家督を継いだ。慶応3年(1867年)4月4日に出羽守に叙任し、江戸城大手門番を務めた。慶応4年(1868年)からの戊辰戦争では新政府に協力した。同年7月、徳川家達が東海に入ってきたため、上総菊間藩に移封となる。明治2年(1869年)3月4日に羽後守に転任する。6月19日には版籍奉還に......
水野 忠敬(みずの ただのり)は、駿河沼津藩の第8代藩主。のちに上総菊間藩主。沼津藩水野家15代。嘉永4年(1851年)7月10日、沼津藩水野家の分家旗本(浜町水野氏)の水野忠明の次男として生まれる。慶応2年(1866年)に本家の第7代藩主水野忠誠が死去したため、その養子として家督を継いだ。慶応3年(1867年)4月4日に出羽守に叙任し、江戸城大手門番を務めた。慶応4年(1868......