水野 忠弘(みずの ただひろ、安政3年6月18日(1856年7月19日) - 明治38年(1905年)12月7日)は、江戸時代末期の大名。出羽国山形藩第3代(最後)の藩主。近江国朝日山藩知事。忠元系水野家13代。先代藩主・水野忠精の長男。正室は水野忠制の娘(水野忠幹の養女)。継室は伊達宗城の娘。和泉守。従三位勲四等、子爵。
水野 忠弘(みずの ただひろ、安政3年6月18日(1856年7月19日) - 明治38年(1905年)12月7日)は、江戸時代末期の大名。出羽国山形藩第3代(最後)の藩主。近江国朝日山藩知事。忠元系水野家13代。先代藩主・水野忠精の長男。正室は水野忠制の娘(水野忠幹の養女)。継室は伊達宗城の娘。和泉守。従三位勲四等、子爵。