毛 昶熙(もう ちょうき、''Mao Changxi''、1817年 ‐ 1882年)、字は旭初。清の官僚。河南省武陟出身。1845年に進士となって庶吉士に選ばれ、御史、順天府丞を歴任した。1860年から河南省で団練の指揮を命ぜられ、巡撫の厳樹森を補佐して捻軍との戦いにあたった。戦功により順天府尹・太僕寺卿・内閣学士に昇進したが、引き続き軍務にあたった。1862年からはホルチン郡王センゲリンチン(僧格林沁)に従って、山東省・河南省・湖北省・安徽省を転戦し、礼部侍郎に昇進した。1865年にセンゲリンチンが高楼寨の戦いで戦死すると、毛昶熙は北京に呼び戻された。......
毛 昶熙(もう ちょうき、''Mao Changxi''、1817年 ‐ 1882年)、字は旭初。清の官僚。河南省武陟出身。1845年に進士となって庶吉士に選ばれ、御史、順天府丞を歴任した。1860年から河南省で団練の指揮を命ぜられ、巡撫の厳樹森を補佐して捻軍との戦いにあたった。戦功により順天府尹・太僕寺卿・内閣学士に昇進したが、引き続き軍務にあたった。1862年からはホルチン郡......