段智祥(だんちしょう)は大理国の20代国王(後大理国としては第6代)。雲南の三十七部を征討して、領土は現在のミャンマー北部にまで広がった。1237年、高隆を鄯闡王に封じ、高泰祥を相国とした。賢者を登用して人材を育て、農作も豊年が続いて、大理国が比較的平穏に治まった時代とされる。1238年、子の段祥興に譲位して出家した。 ちしよう
段智祥(だんちしょう)は大理国の20代国王(後大理国としては第6代)。雲南の三十七部を征討して、領土は現在のミャンマー北部にまで広がった。1237年、高隆を鄯闡王に封じ、高泰祥を相国とした。賢者を登用して人材を育て、農作も豊年が続いて、大理国が比較的平穏に治まった時代とされる。1238年、子の段祥興に譲位して出家した。 ちしよう