武市 富子(たけち とみこ、天保元年(1830年) - 大正6年(1917年)4月23日)は、幕末の志士・武市瑞山の妻。高知藩郷士・島村雅風 (源次郎)の長女。ロシア正教日本人初の司祭の沢辺琢磨は従弟。嘉永2年(1849年)、武市瑞山に嫁ぐ。夫の瑞山は土佐の若手志士たちと交流が深く、富子はたびたび訪れる志士たちの応対に努め、夫を助けた。文久3年(1863年)、瑞山が投獄されると、自分も夫の辛苦を共にするために、その日以来、板の間で寝て決して畳で眠らず、夏は蚊帳をせず、冬は蒲団を使わずに過ごしたという。慶応元年(1865年)夫が切腹となると家財の尽くを没収さ......
武市 富子(たけち とみこ、天保元年(1830年) - 大正6年(1917年)4月23日)は、幕末の志士・武市瑞山の妻。高知藩郷士・島村雅風 (源次郎)の長女。ロシア正教日本人初の司祭の沢辺琢磨は従弟。嘉永2年(1849年)、武市瑞山に嫁ぐ。夫の瑞山は土佐の若手志士たちと交流が深く、富子はたびたび訪れる志士たちの応対に努め、夫を助けた。文久3年(1863年)、瑞山が投獄されると、......