正親町 実連(おおぎまち さねつら、享保5年7月23日(1720年8月26日) - 享和2年9月29日(1802年10月25日))は、江戸時代中期の公家。主に桃園天皇(116代)・後桜町天皇(117代)の二代に仕えた。権大納言の正親町公通の末子であるが、兄達が若くして死んだり、他の公家に養子に入るなどしたため、正親町家の家督を継いだ。享保17年(1732年)に叙任し、侍従となる。享保20年(1735年)に従五位上に昇進するとともに元服。その後、逐次昇進して、左近衛少将、右近衛中将、丹波介、播磨権介、蔵人頭などを歴任して、寛延3年(1750年)に従三位参議と......
正親町 実連(おおぎまち さねつら、享保5年7月23日(1720年8月26日) - 享和2年9月29日(1802年10月25日))は、江戸時代中期の公家。主に桃園天皇(116代)・後桜町天皇(117代)の二代に仕えた。権大納言の正親町公通の末子であるが、兄達が若くして死んだり、他の公家に養子に入るなどしたため、正親町家の家督を継いだ。享保17年(1732年)に叙任し、侍従となる。......