正親町三条公廉(おおぎまちさんじょう きんかど、慶安2年3月17日(1649年4月28日)‐寛文11年8月28日(1671年9月30日))は、江戸時代前期の公卿。後西天皇(111代)・霊元天皇(112代)の二帝にわたり仕えた廷臣。官位は正四位下参議まで進んだ。父は参議正親町三条実昭。母は左近衛権中将冷泉為景の娘。弟に権中納言正親町三条実久。子に権大納言正親町三条公統がいる。承応3年(1654年)に叙爵。以降累進して、侍従・右近衛少将をへて、寛文11年(1671年)に参議となり、公卿に列したが、同年に薨去。享年23。
正親町三条公廉(おおぎまちさんじょう きんかど、慶安2年3月17日(1649年4月28日)‐寛文11年8月28日(1671年9月30日))は、江戸時代前期の公卿。後西天皇(111代)・霊元天皇(112代)の二帝にわたり仕えた廷臣。官位は正四位下参議まで進んだ。父は参議正親町三条実昭。母は左近衛権中将冷泉為景の娘。弟に権中納言正親町三条実久。子に権大納言正親町三条公統がいる。承応3......